Piper-Heidsieck
パイパー・エドシック
❦ 詳細・歴史
パイパー・エドシックは1785年フローレンス=ルイ・エドシックによって設立されたシャンパーニュ・メゾンで、今日エドシックと名の付く3つのシャンパーニュ・メゾン全ての起源となったメゾンです。
1828年に創設者フローレンス=ルイが亡くなると1834年に甥たちは別々の道を歩み始めます。クリスチャン・エドシックが会社を引き継ぎ、アンリ=ルイ・ワルバウムは今日のエドシック・モノポールとなるワルバウム・エドシックを設立、シャルル・アンリ・エドシックの息子シャルル・カミーユ・エドシックが1851年シャルル・エドシックを設立しました。
クリスチャン・エドシックは会社を継いだ後すぐに亡くなってしまいますが、クリスチャンの妻と1815年よりエドシック社で働いていたアンリ・ギヨーム・ピペが結婚し、1845年より現在のピペ・エドシック(パイパー・エドシック)へと改名します。
1870年アンリ・ギヨーム・ピペが亡くなるとビジネス・パートナーのジャン=クロード・クンケルマンの手に移ると、ドラン家所有を経て、1988年にはレミ・マルタンへと売却されます。
レミ・マルタンはパイパー・エドシックを購入する3年前の1985年にシャルル・エドシックを購入しており、2つの会社をP&Cエドシックと統合しますが、シャルル、パイパーのブランドは残し、セシル・ボンフォール、レジス・カミュを招集しそれぞれのシャンパーニュ造りを開始します。
2011年にEPIグループへと売却されますが引き続きセシル・ボンフォールの指揮の下セラー・マスターには8度のスパークリング・ワイン・オブ・ザ・イヤーを獲得した実力派醸造家レジス・カミュによってワイン造りが行われています。
兄弟メゾン、シャルル・エドシックと醸造設備、ブドウの供給元、ベース・ワインを共有するシャンパーニュ地方でも珍しい体系を取っていますが本質的にシャンパーニュのスタイルは異なり、リッチかつストラクチャーのあるワインが使用されるシャルル・エドシックに対してよりフルーティーで親しみやすいワインがパイパー・エドシックに使用されています。
かつてはマリー・アントワネットに献上されたパイパー・エドシックですが今日でもカンヌ映画祭の公式シャンパーニュとして採用されるなど世界的な知名度を持つシャンパン・メゾンとして親しまれています。
お馴染みの真紅のエチケットは昔から使われていたものではなく比較的近年取り入れたもので、当店では以前の白ラベルのエチケットのものが良く入荷しています。
❦ 畑
Not Available...
❦ 醸造
かつてはマロラクティック発酵を行わない事で知られていましたが今日ではマロラクティック発酵も導入しています。
シャルル・エドシック同様ステンレスタンクによる発酵。