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Manuel Pulcini

マヌエル・プルチーニ

マヌエル・プルチーニの写真1 マヌエル・プルチーニの写真2 マヌエル・プルチーニの写真3
URL https://www.instagram.com/enologobio/
設立 2017年
本拠地 Lucca(ルッカ)
当主 Manuel Pulcini(マヌエル・プルチーニ)
畑の総面積
資料提供 VIVIT


❦ 詳細・歴史

マヌエル・プルチーニはトスカーナのルッカ近郊にある耕作放棄されたブドウ畑を借りて2017 年に自身のワイナリーを設立しました。彼が目指したのは、古代の価値の発見、本物の農業、自然なワイン醸造を通して、現代人が忘れてしまったライフスタイルとブドウ畑を継承していくための新しいライフスタイルのプロジェクトでした。このワイン造りを通してマヌエルは伝統的な農業と現代の世界をつなぐ架け橋になりたいと考えています。モンタルチーノのフォンテレンツァなどのビオディナミを実践する幾つかのワイナリーで働いてきたマヌエルは、設⽴当初からビオディナミを実践。「水と風と火と土」を地球上に存在する自然の四大元素と捉え、この四つの要素を象徴するワインを造っています。どれも酸とミネラルと冷涼感があり、特に白ワインは、従来のイタリアにない新時代のフィネスとエレガンスを感じさせるコストパフォーマンスの高いワインです。


❦ 畑

ワイナリーの畑はルッカの近郊(北⻄)にあります。総栽培面積は約2.3 ヘクタールで、実に14 品種ものブドウが栽培されています。しかし、0.1 ヘクタールに満たない品種が殆どで、主要品種はトレッビアーノ、シラー、サンジョヴェになります。区画は大きく4 つに分かれています。栽培はビオディナミで、最初の数年は500 番や501 番調剤を使用していましたが、形式的ではない、より適切なビオディナミを実践するために、数年以内に動物や牛糞、調剤などを購入できるよう準備中です。施肥に関しては、堆肥や有機肥料は全く用いていません。その代わりに、緑肥として、ハーブや野菜、豆などを畑で栽培しています。土壌の種類に応じて、⻄洋アブラナや蕪、インゲン、クローバーなどを栽培しています。これらの植物や野菜は地中に有益な窒素を供給してくれるからです。また、畑の植物多様性を維持するためと有害な昆虫を避けるために、畝の間に自然なカバークロップを生やしています。耕耘は、1 畝毎交互に2 年に1 回⾏っています(1 年目は偶数の畝、2 年目は奇数の畝)。ブドウ木にストレスを与えないように、夏季に伸びた新梢の先端を切る摘芯は⾏いません。グリーンハーヴェストや除葉も基本的に⾏いません。また畑に過剰な負荷を掛けないように、重い農業機械は可能限り使用していません。


❦ 醸造

醸造においては、人為的介入を最小限にし、化学的な技術や人工添加物は⼀切使わずに、野生酵⺟による自然な発酵でワイン造りを⾏っています。SO2 は、ボトリング後のワインのネガティブな反応を避けるために必要最低限のみ添加しています。ワイナリーの畑は他の産地と比べてph が高いため、ブドウの酸が低くなり、非常に酸化リスクがあるため、現在までのところ、他のナチュラルワインと比較した場合、SO2 のトータル値はやや高くなっています。しかし、今後、徐々に減少できるように努⼒しているところです。マヌエルは、酸とミネラル、フレッシュ感がある飲みやすいワインを目指しています。ワイナリーの畑は標高がそれほど高くはなく(約300m)、ミクロクリマによる要因よりも、的確な収穫日と最高の房の選択によってこの目的を実現しています。そして、「水と風と火と土」を地球上に存在する自然の四大元素と捉え、この四つの要素を象徴するワインを造っています。
Manuel Pulcini マヌエル・プルチーニはローマ生まれの現在34 才。両親がローマ郊外に小さなカーヴを所有していたため、小さい頃からワインが身近にありました。自然にワイン造りに関心を持ったマヌエルはピサ大学でワイン醸造学の学位を取得。その後、モンタルチーノのフォンテレンツァなどのビオディナミを実践するトスカーナの幾つかのワイナリーで働き、ビオディナミとナチュラルワイン造りへと惹かれていきました。トスカーナには愛情を込めて手入れされていたブドウ畑が数えきれないほどあります。しかし、現代産業の流入によって⾒捨てられてしまいました。これらの畑は過去の農村の遠い思い出になってしまっています。マヌエルはこの衰退する農村の流れに反抗することを決意。友人のサポートで、トスカーナのルッカ近郊に約2.3 ヘクタールの耕作放棄されたブドウ畑を借りて2017 年1 月に自身のワイナリーを設⽴しました。マヌエルが目指したのは、ブドウ畑に新しい生命を吹き込み、現代的醸造学のワイン造りから解放された、自然を尊重したワイン造りのプロジェクトでした。