LINEで送る

Domaine Monthelie Douhairet Porcheret

ドメーヌ・モンテリー・ドゥエレ・ポルシュレ

ドメーヌ・モンテリー・ドゥエレ・ポルシュレの写真1 ドメーヌ・モンテリー・ドゥエレ・ポルシュレの写真2 ドメーヌ・モンテリー・ドゥエレ・ポルシュレの写真3
URL www.domainemontheliedouhairet.com/
設立 1989年
本拠地 Monthélie(モンテリー)
当主 Andre Porcheret(アンドレ・ポルシュレ)
畑の総面積 6ha


❦ 詳細・歴史

ドメーヌ・モンテリー・ドゥエレ・ポルシュレ、アンドレ・ポルシュレの名前を知らない方は多いと思いますが、ドメーヌ・ルロワ、オスピス・ド・ボーヌの名前を聞いた事ない人は少ないでしょう。
アンドレ・ポルシュレは1976年〜1988年オスピス・ド・ボーヌの醸造責任者を勤めた後1988年〜1993年までドメーヌ・ルロワで醸造責任者をつとめそして1994年〜1999年まで再びオスピス・ド・ボーヌの醸造責任者を勤めた、
ここ半世紀で最も偉大なブルゴーニュの名士の一人です。

ドメーヌ・モンテリー・ドゥエレ・ポルシュレの歴史は古く300年以上前モンテリー氏によって創設されました。当時使用していた古いワイン圧搾機は1932年まで使用され現在もドメーヌに置かれています。
モンテリー氏の引退後ドクター・モンテリーとアリックスの二人の兄弟が12haの畑とともにドメーヌ・モンテリー・ドゥエレを継ぎます。
彼の死後アリックスの2人の娘シャルロットとアルマンドはドメーヌをともに継ぐ事を決めましたが、70年代始めにシャルロットは彼女の相続分の畑を売却します。
アルマンドはシャルロットが手放した畑を購入する事が出来ず大きな失意に襲われながらも残った6haで懸命に醸造、瓶詰めを続けました。
そして1989年にアルマンドは養子のアンドレ・ポルシュレを迎えドメーヌ・モンテリー・ドゥエレ・ポルシュレとして設立します。
2004年に共同経営者のアルマンド・ドゥエレが亡くなり2000年から2005年まで醸造責任者を務めた弟子のフランシス・ルショーヴが独立してからも欧米市場で高い人気を誇り、
アンドレ・ポルシュレ本人も現在孫娘で醸造責任者であるカタルディナ・リッポを指導しながら精力的に作業に加わっています。

またアンドレ・ポルシュレは世界的に希少なワインであるミュジニーのモノポール、ミュジニー・ド・ポルシュレを所有しており年産40本のミュジニーを生産していましたが2014年に畑を売却。
今後、幻のミュジニーとなりそうです。


❦ 畑

Not Available...


❦ 醸造

Not Available...