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Domaine Truchot-Martin

ドメーヌ・トルショー・マルタン

ドメーヌ・トルショー・マルタンの写真1 ドメーヌ・トルショー・マルタンの写真2 ドメーヌ・トルショー・マルタンの写真3
URL
設立 1978年
本拠地 Morey-Saint-Denis(モレ・サン・ドニ)
当主 Jacky Truchot(ジャッキー・トルショー)
畑の総面積 7ha


❦ 詳細・歴史

ドメーヌ・トルショー・マルタン(ドメーヌ・ジャッキー・トルショー・マルタン)は2005年に引退したモレ・サン・ドニに居を構える偉大な生産者です。
ジャッキー・トルショの造るワインは流通ルートが決まっている事とジャッキー・トルショーのキャリアの長い間フランスでしか販売されていなかった事から本当に入手が困難なことで知られていますが、彼が引退後はそれに加えて価格も跳ね上がり、見つけても手が届かないレベルになり、更に入手が難しくなりました。

ドメーヌ・トルショー・マルタンの歴史は,1961年、アルジェリア戦争から帰って来たジャッキー・トルショーがモレ・サン・ドニにある従兄弟のアンリ・モーフルのドメーヌで働いたことがきっかけに始まります。ジャッキー・トルショは当時ワインの専門学校に通う事なく従兄弟であるアンリ・モーフルの哲学と経験を受け継ぎました。そして1978年モーフル氏がなくなると跡継ぎのいなかったモーフル氏の妻はドメーヌをジャッキー・トルショーに売却。ドメーヌはジャッキーの名前と妻の結婚前の名字を合わせてトルショー・マルタンに変更します。

ドメーヌ・トルショー・マルタンは輸出されるようになってからも詳細が比較的不明な生産者で、一部のワイン評論家からは伝統的で軽すぎるワインと評されています。なぜなら彼のワインはバレルテイスティングで印象付けるように設計されておらず、その輝かしいアロマは10年以上の瓶熟を経ないと花開かないからです。また他の記事では、最高品質のワインを造るためには収量が高すぎるとも書かれました。ジャッキー氏ははっきりと収量が高い事を認めており、常に法的に可能な50hl/haあたりの収量を保っていました。ジャッキーにとって彼が所有する古木は強制的に収量を落とすことは必要なかったようです。
トルショが収量を落とした結果というのは非常に興味深いですが、確かにこの高い収量は女性的な魅了するワインへと変化していました。

アルジェリア戦争の際ジャッキーは膝を痛めたため60代に入ってブドウ栽培を行なうのが難しかったのと、息子はドメーヌを継ぐ事に興味がなかった事から2005年ドメーヌはパリのビジネスマン、フランソワ・フュエに売却されました。
ジャッキーは現在もプルミエ・クリュ・レ・ソルベを所有し家庭消費用としてそこから少量のワインを生産しています。

引退後、コレクターの争奪戦が始まると価格は急騰。皮肉な事に謙虚で控えめなジャッキー・トルショーは40年近く美しいワインを造っていた事よりも引退に寄って注目を集めました。


❦ 畑

ドメーヌはシャンボール・ミュジニー、モレ・サン・ドニ、ジュヴレ・シャンベルタンに合わせて7haを所有していました。
生産の全てが赤ワインで滅多に見かけませんが非常に少量パストゥグランが造られていました。
その少ない生産量の大部分がモレ・サン・ドニで、村名以外にも2つのプルミエ・クリュ、クロ・ソルベとブランシャールを所有。クロ・ソルベはアロマティックかつソフトで近づきやすく、ブランシャールはより豊満で熟成に向いています。グラン・クリュも2つ所有していますが、クロ・ド・ラ・ロッシュはクロ・ド・ラ・ロッシュとフェミエールの2つの区画から、シャルム・シャンベルタンもマゾワイエールとシャルムの区画から造られています。
クロ・ド・ラ・ロッシュはトルショのワインの中で最も奥行きがあり、シャルムに比べて野性味があります。


❦ 醸造

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