Méo-Camuzet
メオ・カミュゼ
❦ 詳細・歴史
ドメーヌ・メオ・カミュゼはヴォーヌ・ロマネ村に本拠地を置くコート・ドールを代表するドメーヌの1つでブルゴーニュの神様アンリ・ジャイエと非常に深い繋がりがある生産者の一人です。
創設者であるエティエンヌ・カミュゼはヴィニュロンだけでなく政治家としても情熱を注いでおり、その人生の大部分をコート・ドールの代議士としてパリで過ごしました。その為所有する畑からワインを造る事は出来ませんでしたが、分益小作制度を用いて他の生産者達に貸し出すことで畑を維持します。
その後エティエンヌの娘マリア・ノワロがドメーヌを継ぎましたが、彼女には跡継ぎがいなかった為、近親であるジャン・メオにドメーヌを譲り渡します。しかしジャン・メオもまた当時シャルル・ド・ゴール閣議のメンバーとして国政に深く関わっていたためあまりにも遠くからドメーヌに指示を飛ばさなければなりませんでした。その為彼も小作人達に畑を貸し出し、出来上がったワインはネゴシアンに樽ごと売っていました。この時の小作人にいたのが後にブルゴーニュの神様と呼ばれるアンリ・ジャイエやメオ・カミュゼの醸造責任者を務める事になるフォロワ家。しかし1980年代始めに多くの分益小作人達が引退し始めた頃にドメーヌは方向転換を迫られます。
そして1985年父親と同じくパリで暮らしていた息子のジャン・ニコラ・メオがドメーヌを引き継ぐと少しずつドメーヌ元詰めを開始。1985年から3年間、ジャン・ニコラ、クリスチャン・フォロワはアンリ・ジャイエの教えを請います。
ジャン・ニコラはセラーとセールスを担当し、栽培、醸造に関してはクリスチャン・フォロワが担当しています。
今日ではドメーヌ以外にメオ・カミュゼ・フルール・エ・スールとしてネゴシアンも行っていますが、プルミエ・クリュ以上の畑の管理は全てドメーヌのスタッフが行い、村名クラスも夏期剪定や収穫時の選果を行いドメーヌものと比較しても劣らない高い品質のワインを作り上げています。
❦ 畑
除草剤などを一切使わない減農薬農法を取り入れていて、剪定や除葉なども行って畑の中の空気循環の状態を良くして乾燥させることによって腐敗を防止し、健康で良質な葡萄を作ることを心掛けています。
❦ 醸造
しばしばアンリ・ジャイエとの関係性からジャイエの後継者と呼ばれる事もありますが、近年のブルゴーニュの天候、スタイルの変化もありジャイエが100除梗を行っていたのに対し、ドメーヌ・メオ・カミュゼは現在全房発酵を一部取り入れています。